ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

三陸鉄道経由で帰省、の続き

三陸鉄道北リアス線に乗車します。

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11:20頃 宮古駅 113D
構内は結構広いようですが、ちゃんと写真を撮っていません。宮古にやってきたのは7年ぶりですが、乗り継ぎがスムーズ過ぎて、懐かしさに浸っている余裕はありませんでした。左端がオレンジ色なのは、フィルムはじめの部分であり、光が漏れてしまったから。

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11:28 636D発車
キハ58系は山田線で使用されています。因みに、山田線の宮古~釜石間は、平成31(2019)年3月に三陸鉄道に移管され、盛~久慈間はリアス線として1本の路線になりました。

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11:46

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12:03 小本駅 112D
計画では茂市駅からの岩泉線がこの駅まで伸びることになっていましたが、今は岩泉線そのものがありません。

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現在の久慈~宮古間の運賃は1,850円なり。

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北リアス線もトンネル多し。

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12:35

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13:01 久慈駅に到着です。

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久慈は私が生まれた町ですが、3歳までしか居なかったので、記憶はほとんどありません。平成23(2011)年の東日本大震災で大打撃を受けた三陸鉄道でしたが、TVドラマ「あまちゃん」効果もあってか、地元の足であると同時に観光路線としても注目を浴び、3年後に全線復旧を果たしました。

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駅名標に、北リアス線の「陸中宇部」の駅名は入っていません。でもこの当時は、盛岡発の臨時列車が久慈まで入線していたのだから、括弧書きで表記してもよさそうなもの。

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キハ40 590は現在も首都圏色で活躍中だそうです。
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13:08 636Dに乗車して八戸へ向かいます。

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13:29 侍浜駅
タブレットを手にした駅員さん。残念ながら平成16(2004)年に交換設備撤去の上、無人化されてしまいました。

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14:00頃 種市駅
信号テコが見えます。タブレット閉塞に腕木式信号機。ああ、国鉄。この駅も平成16(2004)年に交換設備が撤去されています。
そして平成17(2005)年にタブレット閉塞は特殊自動閉塞へ切り替えられました。

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15:01 八戸駅到着
盛から久慈まではず~と晴天でしたが、八戸線に入ってから雲が出てきて雪もパラついてきました。

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キハ40 522
形式っぽい写真は、撮れるうちに撮るのがよろしい。この車両もまた現在でも首都圏色で走っているようです。

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15:30発 八戸駅 223列車 ED75 136牽引
東北本線に戻り、本州最後の列車は、原ノ町06:00発、青森到着17:34着の長距離鈍行223列車です。旧客ですが、車内はとても暑かったとメモしています。

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17:34 青森駅到着
隣は盛岡行き536列車か?露出不足のためか、色がとても変。

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17:40発 はつかり22号

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19:50 青森出航 9便 大雪丸
船内は意外なほどガラガラ。いつもなら座席も座敷も人でいっぱいなのに、一体どうしたわけなのでしょう。まあその分、楽させてもらいましたけどね。

函館には深夜の23:40に到着し、23:51発の41列車(山線回り)に乗り継いで札幌へとラストスパートです。乗車したスハフ44 101は、タイヤがフラットになっていて実に喧しかったので、しっかり生録しときました。

札幌到着は06:47。「大雪丸」を降りて41列車で札幌に着いたら、「大雪号」が到着していました。
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06:45着 大雪6号
二日前の19:10に上野を発ってから35時間と37分。到着してみればあっという間の旅でした。

昭和59(1984)年12月29日