ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

ひっさびさの札幌駅付近朝練(1)

おそらく自宅から歩いてきたんでしょうね。まだ地下鉄が走り出す前だし、まさかタクシー使って、なんてことがある筈もなし。ま、1時間かそこらでしたから。苗穂~札幌のいつもの場所で。

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05:52 回720M・回520D・利尻
顔を並べていますが、遠~い。いずれも北海道専用車両で、厳しい自然の中を、道民の足となって走り続けてくれました。

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05:52 利尻・回520D

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05:56 すずらん59号
臨時急行なのでヘッドマークは用意されていません。寝台車がなく、運転開始時の「はまなす」よりもショボイ編成です。

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06:01 1722M
千歳空港行きです。今の南千歳駅になります。やはりS-901には格別な味わいがあります。

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06:23 まりも
所定、寝台車4両+座席車3両に加え、荷物車2両、郵便車1両の10両編成です。編成を写したポジフィルムは別ファイルに収納して未スキャンです。

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06:25 1561M
江別行きになります。新塗色車がだいぶ増えてきました。

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06:25 1561M・回1640D
回1640Dはキハ48×2+キハ40×2で、石狩月形行き641Dになる列車だと思われます。

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06:32 821列車・回?D
821列車は小樽発、滝川行きです。晩年の50系は専らED76牽引でしたので、DD51牽引はちょっと新鮮に見えます。回送のキハ56系は様似行きの急行「えりも2号」でしょうか。

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06:42 大雪4号・回2726M
日中の急行「大雪」は旭川着発となっていて、下り「1号」は興部行き、上り「2号」は名寄発(名寄本線経由)でした。

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07:02 オホーツク1号
特急「オホーツク」は、183系が2往復、80系が1往復で運転されていました。

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07:10 524M
岩見沢発、小樽行きです。やはり前照灯点灯は絵になります。

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07:31 北斗2号
グリーン車なしの特急「北斗」。写真、撮ってました。

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07:35 526M・1728M
526Mは江別発、小樽行き、1728Mは手稲発、千歳空港行き。交流色車と新塗色車とが半々なのは偶然?

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07:43 回1101列車
おそらく急行「ニセコ」102列車へ向けての回送列車でしょう。一旦苗穂まで行ってから札幌へ戻ってくるかと。因みに「ニセコ」の札幌駅発車は08:30です。この短さでは、山線ではDD51単機牽引だったのかもしれません。GW中なのに。

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07:53 1725M
1722Mで撮った写真となんも変わり映えしません。

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07:58 ライラック2号
室蘭行きです。旭川行き「ライラック1号」はこの5分後に発車します。
まだまだ撮影は続きますよ。

昭和60(1985)年5月2日 苗穂~札幌

り地域韓国様は、日本製品の配送拒否という新たな手段に打って出ました。いい流れです。その調子で、国内からどんどん日本を追放すべく奮闘精励して下さい。よりにもよって、り地域韓国様の国内でのうのうと商売している日本企業も戦犯国・戦犯企業の仲間としてガッツリ、跡形もなく追い出して下さい。旅行者やアニメや銀行もね。医療機器とか放送機器なんかも、日本製品は遠慮容赦なくとことん排除して下さいね。WTO提訴は残念ながらチョッパリどもの裏工作によって勝訴は難しいところですが、そんなことはどうでもいいのです。世界を敵に回してでも、朝鮮民族が一丸となって、その誇りにかけて日本を叩き潰しましょう。たとえ返り討ちにあっても、それこそが、り地域韓国様らしい生きざまです。一切の妥協・譲歩はあり得ません。そして、人類史上、唯一、民族の誇りを掛けて自滅した国家であると歴史書に記録される・・・といいですね。