ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-21 札幌駅-03

思えば、この日は随分と撮影していたようです。走行列車を連写してフィルムを浪費するのは残念至極で後悔してばかりですが、この日のように車両写真で枚数が増えるのは誠に喜ばしい限りです。

銭函手稲
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キハ27 49

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キハ27 50
札幌駅ではありませんが、手稲駅へ戻る途中に撮影。当時はまだ稲穂駅はありませんでした。

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スハフ32 277(←スハフ34578)
GHQ占領下で特別軍用客車に指定されたスハフ32形式6両のうちの1両で、軍番号は2442、軍名称はCHICOPEE。指定されたことにより何らかの外観的変化があったかどうかは分かりません。

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オハ35 1297
いわゆるキノコ折妻で、屋根は鋼板。当初、このタイプでは雨樋が出入台上部にしかありませんでした。

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キロ26 107
100番代の最終番号。長大編成対応、冷房準備車として登場しました。

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キハ22 73
キハ20の2機関搭載はキハ52ですが、もしもキハ22の2機関搭載車が作られていたら、キハ53形式500番代は登場しなかったかもしれませんね。キハ22が十分に活躍したせいか、キハ24は10両、キハ46は6両の少数に留まりました。っつか、この2形式は北海道に必要だったのか?

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キハ56 28
キハ56の0番代車は、国鉄時代に全て廃車となっています。ただし、6両はキハ53形式500番代に姿を変え、JRへ命をつなぎました。

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キハ56 120
無理やりという感じの構図。

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オハフ51 6

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オハ51 6
今頃になって気づきましたが、オハフ51の乗務員室って両側にあったんですね。妻面には後方監視用の窓があります。50系客車では旧客と違って、貫通扉が設けられました。

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クハ711-13

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モハ711-7

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クハ711-14
S-7編成。モノクロでも分かる通り、だいぶ色褪せている様子が伺えます。こんな状態のイメージしか持っていなかったので、特急色の「赤」と同じ色と知った時には唖然とさせられました。

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マニ50 2037

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マニ50 2117
本来の荷物輸送に活躍した期間は多いものでも10年足らず、少ないものだと5年足らずの短命でした。客車が余剰気味だったので改造しての再利用もごく少数に留まりました。北海道ではMOTOトレインが印象に残る程度でしょうか。

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マニ36 2141(←スハ32 2326)

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オハ36 503(←オハ36 111←スハ42 111)
近代化改装を行ったスハ42は自重が軽くなり、それがオハ36に形式変更されました。オハ36の中には電気暖房を搭載したものがあり、それにより自重が増えてしまってスハ40となるからややこしいです。なぜスハ42の2000番代にしなかったのか?改装工事の有無を区別するためでしょうか。因みにスハ42の電気暖房搭載車は2000番代です。

昭和55(1980)年6月29日