ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-44 札幌駅-20再び気動車

タイトル通りになります。

902D 急行「らいでん2号」
小沢駅で岩内行き普通列車4941Dを分割し、倶知安駅では522Dと合体して長万部行き普通列車932Dになっていました。
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キハ40 109(→キハ40 834)
せっかくの急行なのに列車種別の表示なし。小沢駅で切り離して岩内行き普通列車になるからなのでしょうか。向こう3両は「長万部」の行き先サボを差しています。

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キハ22 110

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キハ46 2
過去に掲載した写真をレタッチし直した上で再掲載。この頃、キハ17系とキハ80系を除いた気動車、即ち20系(21、22)、40系(40)、45系(26、55)、56系(27、56)は、みんな急行運用に就いていました。

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キハ22 61
若番ですが、タブレットキャッチャーがしっかり取り付けられています。
以上、4両編成の急行「らいでん2号」でした。

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キハ22 35

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キハ22 211

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キハ40 138(→キハ40 707)
100番代は、急行仕様改造車を除き、ワンマン化改造により全て700番代になりました。また改造前からJR北海道標準色へと順次塗り替えられてゆき、もともとあまり撮影意欲の湧かなかったキハ40には、益々撮影意欲を減退させてゆくのでありました。

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キハ40 146(→キハ400-146→キハ40 334)
キハ40の330番代は超ロングシート仕様となって札沼線で活躍しておりましたが、334号は札沼線の電化により余剰となって、海外譲渡されました。どこへだっけ?

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キハ40 149(→キハ400-149→キハ400-503)
キハ40系は、JR化された後に各社から続々と改造車が登場しており、かつての荷物車や郵便車への格下げ改造ではなく、特急用、ジョイフルトレイン用といった格上げ改造が目につきます。キハ400系500番代は平成28(2016)年度までに全廃され、これによってキハ400系は形式消滅しました。

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キハ56 111

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キロ26 201(→キハ29 1)
0番代、100番代は非冷房または冷房準備車で製造されて後年冷房化されましたが、200番代は製造当初から冷房装置が取り付けられていました。
201号はアルコンの中間車に改造され、他車へ冷房電源を供給するために、強力な電源装置に交換されました。

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キハ27 101

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キロ29 3(←キハ27 124)
助士席後方の出入口扉は塞がれ、デッキ部分は物置になっていたそうです。

圧倒的に気動車列車が多かった当時は、DMH17系機関の噴き上げる排煙が駅のひとつの風景でした。

昭和55(1980)年5月10日

民進党のドタバタ劇はまさに情けないばかりです。笑う気すら起こりません。誰のための選挙なのか、政策無き政党が看板まで無くしちゃいました。こんな志の低い議員連中ばかりだもの、いくら前原代表が鉄ちゃんでも北海道の鉄路を政治力で守ることなんて到底できませんね。安倍政権を倒すことが政策と考えている共産党やその共闘連中は気が狂っているとしか思えないし、自民党以外には誰に投票すりゃあいいんだろう。希望の党なんて烏合の衆は論外だし。困った。