ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

敦賀機関区を覗いてみた

雷鳥28号」で敦賀駅に到着したのは18:40。外はもうすっかり暗くなっておりましたが、それから敦賀機関区へ向かいました。敷地外からバルブ撮影をやらかしています。

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廃車のEF70、0番代と1000番代でしょうか。車体の色がローズピンクに見えて、交直流機関車のようです。

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通過列車の光跡を入れてはみたものの、何をどう表現したいのか、さっぱり分かりません。

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北陸本線のあちこちの駅でEF70の廃車体を目にしましたが、この時点ですでにEF70は全車、運用を離脱していたようです。交直流機関車であるEF81のロングラン運用により、交流区間しか走れないEF70は行き場を失ったと言えるでしょうか。一部は九州へ転配されるも、結局は軸重の関係からED76に追いやられ、そこでも早々に運用離脱した模様。
東海道本線で荷物列車を牽引していたEF58の後継機関車として、このEF70を改造して転用する計画もあったそうですが、結局は信越線用のEF62がその任に当たったことで、EF70の直流化改造計画もお流れとなり、JRには1両も継承されることなく姿を消してしまいました。

さて、この先からの記憶は全くありません。おそらく、敦賀駅で夜を明かしたのだと思います。翌日は早朝に、鳩原(はつはら)ループへ向けて駅を出発しているからです。

昭和60(1985)年2月9日

昨日の日曜日は、近所に選挙カーは1台も姿を見せず、とても平穏な一日でした。おそらく中心部で街頭演説をしていたのでしょうね。ネットや新聞報道などで見聞きする対韓外交への考え方からして、野党の多くは相変わらずのダメっぷりで全くの論外。韓国を普通の国と考えている時点でアウトでしょ。大体において、親日罪などという狂気じみたヘイト法律がある国と友好関係を築けるわけなどありません。おまけに嘘はつくわ約束は守らないわ相手に敬意を払わないわ自分たちに都合のいい解釈を勝手にするわで、人間性もモラルも欠如した政府を信用する方がおかしい。韓国が製造している半導体など、各国のメーカーが増産すれば対応できるし、有機ELパネルも国内で製造しているので、製造ラインさえ整えば増産は可能。特許だって日本が所有しているものだし。LGディスプレイのパネルに比べてコスト高にはなるでしょうけれど。韓国が製造している電子部品など、他のメーカーでも製造できるものばかりなのではないでしょうかね。頑張れアメリカ、頑張れ台湾。