ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C50 135

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年2月10日 沼津機関区

車歴は↓こちら。

C50135 機関車データベース (形式C50) - デゴイチよく走る!

シールドビームを装備したC50は少数派だったと思いますが、沼津区のC50はみなシールドビームだったようです。しかも煙突にはお皿を載せていますし、当時のファンからは見向きもされなかったかもしれませんね。何しろ入換機だったし。でも、そんな野暮ったさが逆に愛しく思えたりもします。健気じゃないですか。

8620の改良増備車として開発されたものの、C10に対するC11やC55に対するC57のように、兄貴分を上回る普及とはなりませんでした。1形式154輌(樺太庁鉄道編入分4輌を加えると158輌)というのは、当時から見れば決して多い方ではありませんが、これは当時の不況の影響によるものとのこと。近代化を目指して新機軸を設計に取り入れたことで、都市部における運用では好評だった一方で。現場にとっては検修に不慣れな状況が生み出され、前期形(1~67号機)と後期形(68~154号機)とで車軸配置が異なるに至っては、別形式の扱いをせねばならず、厄介な面もあったようです。とまれ、入換機に転用されて本線運用が少なかったせいか、お召列車を牽引した実績は今のところ見当たりません。