matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年3月19日 広島運転所
前回の記事は後期型の82号機でしたが、また前期型に逆戻りです。過去記事で一度紹介した66号機ですが、廃車直前の姿とは対照的な画像が出てきたので、改めてご紹介します。広島時代の姿です。形式入り番号板が燦然と輝いています。煙室戸にゼブラはありません。前端梁のゼブラはV字型で、煙突はパイプ化されています。
昭和43(1968)年10月30日 糸崎機関区
糸崎区へ異動して間もない頃ですが、全検上がりなのでしょうか。ピッカピカのゼブラです。そしてV字型です。この後に逆V字化されることになります。煙突の上に「蓋」を載せており、どうやら火は入っていないようです。糸崎区で、前回ご紹介した82号機とともに入換仕業に励むことになるのですが、やがて82号機同様に煙突には火の粉止めの覆いが設置され、炭水車側面には安全マークが表記されることになります。ところで、足回りの寸法が異なる前期型と後期型の両方を検修する広島工場では、別形式として扱っていたのでしょうかね。
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