ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 57

matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年9月15日 盛岡機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5157

真に受けないように。置いただけです、ヘッドマーク

D51は貨物機ながら、旅客急行列車の運用にあたったことはあります。臨時運用ながらも急行「ニセコ」では本務機C62の前位に立ち、沿線のカメラマンをガッカリさせたという話もよく聞きます。でも、流石に特急運用は聞いたことがありません。もしかすると迂回運転などで特急列車を牽引したことがあるかもしれませんけど。

当時の国鉄はファンに対して本当に好意的で、ちょっとしたリクエストには応えてくれたようです。車庫に入っている機関車を、撮影のために外へ出してくれた、という話も写真集などのキャプションで何度か見かけました。職員の数が多く、仕事にも余裕があったからなのかもしれません。それに第一、部品を盗んだりするような不逞な輩はいなかったでしょうから、信頼関係があったというのも大きかったでしょう。

ゆうづる」のヘッドマークはともかく、前照灯がシールドビームなのは、やはりちょっと残念な気がします。35号機も同様のスタイルでした。一体どこでヤラレちゃったんでしょう。

「架線注意」札は除煙板上部ステーの上にあります。この下をくぐる時には頭を下げるでしょうから、全然目に入らないような気がしますけど。

前端梁の灯具(後部標識灯)掛け、左右で高さが異なるのはなんででしょうかね。

ナメクジに限りませんが、やはり横の姿も見てみたいです。