ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札幌駅 いい加減に帰宅すれよ

北海道の年末は日暮れがとても早く、15時を過ぎるともう薄暗くなり始めます。苗穂から札幌駅に戻ってきましたが、すぐに帰宅の列車には乗らず、華やかな特急列車をもうちょっとだけ拝むことにします。

 

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上り「おおとり」

 

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グリーン車は試作車のキロ182-901です。量産車とは外観が全く別物の異端児。同様にキハ184-901も量産車とは容姿が異なります。

 

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函館方は顔面蒼白的な新塗色車。この塗色で「JNRマーク」を付けられるのもあとわずか。このスラントノーズ顔は他の形式に普及することはなく、キハ183形式0番代だけのオリジナルとなりました。貫通タイプ構造とするには難しい造りですからね。

 

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ホワイトアロー9号

485系からの流れを汲む、まさに「ザ・国鉄」的な顔立ちと言えるでしょう。赤い腹巻塗色には賛否両論があるようですが、モハ20系(後の151系)の最初の案がまさにこの塗り分けであったことを思うと、

わたしゃ感慨深いものがあります。キハ183もそうだしね。

 

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下り「おおとり」

下り「おおとり」が発車して間もなく、今度は網走行きの「おおとり」が到着します。両「おおとり」は苗穂駅付近ですれ違います。このNキハ183形式も一応、腹巻塗色ではあります。

 

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こちらは改造車の100番代。2本の「おおとり」で4種類の先頭車を全部拝むことができました。ありがたや~ありがたや。この塗り分けはキハ82の再来みたいで、これはこれで好きです。

 

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キロ182-2

先程の試作車との違いは明らかです。出入口が中央寄りの姿は、AB寝台合造車オロハネ10を思い起こさせますが、実際、10年後にこの車両は合造車キロハ182に改造されます。

 

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ディーゼル特急と電車特急との並び。国鉄末期だというのに輝いて見えます。あ、ヘッドライトのせい?

 

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ライラック19号

JR化後、ご存知の様に781系はJR色に塗り替えられますが、ヘッドマークはしばらくこのままでした。なんか似合わないと思ったのは私だけでしょうか。JRデザインの「ライラックヘッドマークは好きではなかったけれども、JR色には似合っていたと思います。

 

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665D キハ46 2

大学前行きです。「大学前」駅とは今の「北海道医療大学」駅です。いつもだと迷わずにキハ56に乗るのですが、敢えて稀少なキハ46に乗車しました。発車11分前ですが、まだガラガラで、現在とはだいぶ様子が異なります。蛍光灯の緑被りを補正した結果、相対的に窓外がマゼンダまみれになっています。

 

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新川駅

このキハ56 148は、キハ56系の中では唯一JR色に塗り替えられた車両です。車端部の腰掛はロングシートに交換され、近郊形風に改造されます。

こうして足掛け3日目でようやく川崎から帰宅するのでありました。一体、いつの時代だい。

 

昭和61(1986)年12月29日