スキャン済のポジフィルムの中からアップできるものはないかと漁ってみたら、キハ183系のものが幾つかありました。でももしかするとアップ済のものがあるかもしれませんので、その時は見て見ぬふりでやり過ごして下さい。
張碓→銭函 特急「北海3号」 昭和61(1986)年10月12日
銭函駅から線路際を歩いて恵比須島までやってきました。(今なら通報一発、駅員か保線区員がすっ飛んできますね。)今からほぼ32年前です。撮影時刻は16時48分で、もうすっかり陽が落ちています。帰り道、闇の線路際を歩く姿は、怪しさに満ちていたことでしょう。この年の11月、国鉄最後のダイヤ改正で山線から優等列車が消えるということで有休休暇をとって撮影にやって来たのでした。
札幌駅 特急「おおとり」 昭和61(1986)年12月29日
「おおとり」にはとうとう一度も乗車することはありませんでした。函館~札幌間は「ニセコ」か「北海」か、仕方なく「北斗」を利用するばかりで、昼前に函館を出る下り「おおとり」も、昼過ぎに札幌を出る上り「おおとり」も、連絡列車の関係でいつも選定外でした。車内アナウンスを録音できなかったという悔いは残ります。
苗穂←白石 特急「北斗1号」 昭和61(1986)年12月30日
今はアンダークロス化された苗穂丘珠通の踏切です。苗穂機関区へ遊びに行くときにはいつも渡っていました。画像には踏切待ちの車列が写っていますが、ホント、ここはいつも車が渋滞していましたね。反して、鉄ちゃんの姿はほとんど見かけたことがありません。
白石→苗穂 特急「おおとり」 昭和62(1987)年6月6日
JR化まもない頃の「おおとり」。この列車が183系化されたことで定期列車から食堂車は消滅しました。それだけに「トマサホ」に食堂車が登場した時にはビックリさせられたものです。発足から10年間は、JR北海道には勢いがあってガンガン攻めていましたね。この時は、有給休暇消化のために何となく帰省しました。札沼線や山線には新鋭のキハ54が投入されて、銀色の車体を輝かせながら走っておりました。
先日、アマゾンで破格値の書籍を発見。気になっていた物でもあったので即ポチりました。その書籍とは「機関車表」(沖田祐作著)。国内はもとより植民地で活躍した日本の鉄道車両のうち、機関車をメインにその経歴を網羅したDVD-R収録の電子書籍です。月刊「レールマガジン」の300、301号に、その一部を収録したCD-Rが付録となりましたが、市販版はコンプリート版と称する完全版で、私鉄や各省庁所属の機関車の他に、国鉄の救援車といった事業用車にも及んでいます。各車両の経歴の他にも写真や図面も豊富に収録されており、車両研究家にとっては貴重な資料といえるでしょう。50年かけてまとめられたというその想像を絶するご苦労には、頭が地中に埋まってしまうほど下がる思いです。私は研究家には程遠い安楽野郎ですが、こういう資料から、見たこともない過去の車両たちの活躍ぶりを想像するのは嫌いではありません。