ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

只見線を車で追う

この日は人と合流し、車で撮影ということに相成りました。前日に続く曇り空で、せっかくの紅葉も沈んだままです。

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09:30 会津宮下→早戸(第三橋梁) 427D

近くの空き地に車を止めて、崖っぷち付近にカメラを据えました。場所が狭いので、ビデオカメラを離して置くことができず、シャッター音が盛大に収録されました。

 

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11:36 会津中川会津水沼(第四橋梁) 432D

車での移動だと時間を持て余し気味で、近くの沢沼湖でぼんやり過ごしたりしました。今なら間違いなく車で追いかけて暇を持て余す余裕などないでしょうけれども、この時は車での撮影に慣れていなかったので、そういうことは思いもよりませんでした。

 

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14:39 本名→会津越川(第六橋梁) 433D

車では呆気なく現場に到着してしまいます。只見線のような、長距離で列車本数が少ない路線での撮影に、車は強力な武器になりますが、当時はペーパードライバーで車を運転する自信がなかったので、この先しばらくは列車+徒歩による撮影が続くのでした。

 

平成元(1989)年11月5日

 

東京がチトまずいことになりかけています。ごく一部のスーパーでは、都知事の自粛要請に反応して買い占めが起こり、品薄となっている店もあるとか。またしても必要以上に買い込む輩が出没しているようです。また辛ラーメンだけは残るでしょうけど。

最初、クルーズ船での日本の防疫対応を批難・批判していた諸外国が、今度は自分たちが感染するやたちまち感染が拡大し、右往左往する始末。対岸の火事だと思って他人事の様に見物していたら、飛び火が襲い掛かり一気に広がったというところでしょう。「時間はあったのに、何の対策も講じていなかったのか、それ見たことか」と日本は多少なりとも冷笑返しをしていた節があり、そこにいささか奢った気持ちが芽生え、さらに加えて気が緩んでいたようでもあります。先日の連休中は、多くの人たちが上野公園で桜を楽しんでいたようですし、禁止されている宴会をやって警察官に退去させられたタワケがいた上に、繁華街は通常通りに賑わっていたとか。海外から見たらクレージーな行動と映ったことでしょう。

しかし、ついに感染経路が不明な市中感染が増え出した現在、東京でも感染爆発が起こりそうな状況になりつつあります。首都機能にマヒが生じれば、日本全体への被害拡大は計り知れないものになるでしょう。ここは何としても踏ん張って耐え忍んで堪えて、感染拡大防止に努めて欲しいと思います。