ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 32

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月10日 札幌駅

 

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

車歴は↓こちら。

C6232 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

昭和42年は、札幌駅でもC62を見ることのできた時代です。2往復ながら、旭川までの運用もありました。幼少期の記憶として、札幌駅1番ホームでC62を見た記憶がぼんやりとあります。父親に抱っこされて機関車の横に居るのですが、蒸気に包まれ甲高い蒸気を噴出する音に怯えて泣いた記憶があるのです。子供心にも、爆発するのではないかととても恐ろしかったわけで。後年見た、ただの夢だったのかもしれませんが、あの大きなボイラーと平たいドームの印象が強く残っています。

昭和42年3月には「おおぞら」「おおとり」「北斗」に続く北海道4番目の特急列車が山線に登場します。「北海」です。これまで山線の優等列車といえばC62やD51が牽引する急行列車だけでしたが、ここに特急列車が加わったことで急行列車は少し存在感を失い、C62の活躍の場は狭められることとなり、まず27号機が落ちました。

そして迎えるヨンサントオでC62は函館~小樽間の運用に限定されることとなり、30号機も落ちます。42号機は昭和37(1962)年10月のダイヤ改正に伴う運用の合理化により翌38年3月に仙台機関区へ転配済でした。唯一の集線装置を装備したC62でしたが、渡道を前に取り外されたのは残念としか言いようがありません。

こうしてSLブームが本格化する昭和43年以降、2、3、32、44号機の4輌態勢で、急行「ニセコ」103レ、104レの先頭に立ち、蒸機ファンの心に燃料を投下するのでした。