matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月17日 鷲別駅
鷲別駅は東室蘭操車場への通路線を挟むように上下のホームが離れており、両者は地下道で結ばれていました。列車はおそらく室蘭行きでしょう。
ホームから線路に降りても叱られなかった時代。
昭和42(1967)年8月17日 東室蘭駅
SAMPUKU爺様は、鷲別駅からC55 1牽引の列車に乗車しお隣の東室蘭駅で下車。その列車の発車をホーム端で捉えた模様。
昭和43(1968)年9月1日 室蘭機関区か
稚内区へ異動となる直前の姿の様です。キャブ前窓は旋回窓と防護網でいかつい姿です。
昭和43(1968)年12月26日 稚内機関区
トップナンバーは北海道に新製配置され、梅小路区に保存されるまで終始道内で活躍しました。除煙板ステー上の「つらら切り」が特徴的です。だいぶ歪んでいるように見えますが。室蘭区から旭川区へ転属の際、フロントデッキ上に手摺が追加されています。しかし、落成時にはもともと手摺が設置されており、除煙板前端に手摺はありませんでした。フロント脇のステップが前端梁前面に移設されたのは旭川区所属機の特徴です。更に煙室両脇に設置されていた「架線注意」札が撤去されているようです。
追加画像(2024-09-22)
静かな山間にあった神居古潭駅。今でも駅跡は残され、当時活躍した機関車が数輌保存されています。
車歴は↓こちら。
C551 機関車データベース (形式C55) - デゴイチよく走る!
C55というと、晩年は北海道と九州のみで見られた機関車で、そのスマートな車体と水かき状のリブのあるスポーク動輪が人気を集めていました。
名機と呼ばれたC51の軽量改良型としてC54が設計されたものの、不況下での少数生産に加えて現場での評判はあまり芳しいものではなかったため、そこで改善を図って誕生したのがC55でした。C55の評判は上々で更なる改良を加えて増産が図られたものの、シリンダー径・使用圧力の変更やボックス動輪を採用するなどした結果、それら改良増備車には新形式C57が与えられたために、C55の製造はわずか62輌に留まりました。わずか62輌ながらもそのうち21輌は流線型として製造され、大きな話題を呼びました。
国鉄制式蒸機としては缶胴上の蒸気溜めと砂箱が初めて一つのドームに収められ、近代型スタイルが確立されました。