ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C62 1

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

いよいよお待ちかね・・・かどうは分かりませんがC62の登場です。

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昭和48(1973)年8月26日 小郡機関区

車歴は↓こちら。

C621 機関車データベース (形式C62) - デゴイチよく走る!

2号機があまりに有名だったのと、廃車の時期がSLブームの初期の頃だったこともあって、当時を姿を目の当りにしたファン以外にとっては存在感は少な目だったような気がします。外観は試作機ということもあって、2号機以降とは異なる箇所がありました。例えば炭水車がC59のように、後部の切り欠きのないタイプだったり、砂撒き管が2本しかなかったり、火室覆いが小さく火室の大部分が剥き出しになっていたこと、また蒸気加減弁のコックの向きが上方向に立ち上がっているといった違いがありました。メカニカルストーカーは開発が間に合わず、竣工後に取り付けられています。C61 1と同時期に竣工する予定でしたが、組合のストにより作業が遅れて、C61 1より1か月半ほど後になりました。

落成後1か月ほどして広島第一機関区に配置されますが、C62本来の目的である特急列車の牽引はその2年半後、宮原機関区に転属されてからになります。緑色のナンバープレートを掲げ、戦後復興の象徴とも云える特急「つばめ」「はと」などの先頭に立ち、日本最大の旅客用蒸気機関車の伝説が開幕しました。