ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

俯瞰症発症

この日はまず会津水沼へ行きました。ここには第五橋梁があります。蒸機時代、第三橋梁の次くらいによく写真に撮られていました。

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06:05 会津若松駅 1222列車
磐越西線の、ED77が牽引する郡山行き普通列車です。磐越西線の専用機となっている貴重な機関車です。試作機はED93。

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07:55 会津水沼駅 425D
この日も小出行き425Dに乗車しました。

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かわいらしい待合室。郵便局員が乗るような赤いバイクがいい雰囲気を醸し出しています。サッシドアはこのご時世、仕方がありません。

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08:18 会津中川会津水沼 426D
トラス形式の第五橋梁。紅葉、微妙~。

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横向きも狙いましたが、沿線の樹木がいささか喧しい。全然染まってないし。

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こんな所で撮っていました。どうやって上がったんでしょう。翌年には更にパワーアップして、この先に見えるコンクリート擁壁あたりから急斜面を登っています。バカのバカぢから。

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09:24 会津中川会津水沼 427D
畑のある高台からです。その縁から撮りました。スッキリ抜ける場所がなかなかなくて、かろうじて見つけた所からは、中腰の苦しい体勢で何とか狙えました。

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12:13 滝谷駅 432D
会津水沼での撮影にまあまあ満足して、滝谷へ移動しました。
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乗車してきた列車を見送ります。

前回この駅を訪れた時、ホームで帰りの列車を待っていた際にふと見上げた駅前の山の上が俯瞰にバッチシな場所に見えたので、そこへ行こうとこの日は決意を燃やしておりました。
しかしどこから上ったらいいのか分かりません。とりあえず山裾をくねる道を伝って、入口はないか、なぐごはいねが、と左手の林の中に目を凝らします。そのうち、雨がパラついてきました。これはもう天からの試練です。いいじゃないの、受けてやろうじゃない。とその時、ここから入ったらいいよという林の妖精が手招きするかのように、暗い林の中に少しだけ明るく見える場所がありました。で、やけのやんぱち日焼けのなすび的な気分もあって、思い切って林の中に飛び込みました。飛び込んだものの、さて、どっちへ行く?と、今度は獣道らしき、人が分け入った跡がうっすら見えました。目的の山の上は木が伐採されていたので、間違いなく人が出入りしているはずです。その出入りした跡だろうと判断して、導かれるように進みます。徐々に高度を上げてゆくので大丈夫だろうと幾分興奮気味に進んでゆくと開けた場所に出ました。線路は見えませんが、少しホッとします。とその時、細い獣道からずずずっと足を滑らせて2mほど滑降してしまいました。雨で土が少々ぬかるんでいたようです。しかし靴以外は泥まみれになることもなく、スケボーで急斜面を滑るようにバランスを取りながら草むらに着地しました。すげ~自分。で、手を泥んこにしながら獣道まで這い上がりました。そこから先は目的地への道であると確信して、迷うことなくずんずん進んでいったのであります。

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13:25 会津檜原→滝谷駅 8434D
意外にも常緑樹が多かった。でも、これで晴れていたら紅葉は激しく燃えて映えていたんだろうな。キハ40も朱色でよかった。

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13:58 会津檜原←滝谷 433D
紅葉をどうやってフレーミングしようか、悩ましい撮影でした。
30分ほどの間に上下各1本ずつ効率よく撮影でき、雨の中を満足して下山しました。帰りは滑降することなく順調に駅まで戻ることができました。

上り列車がもう1本撮れます。雨が相変わらずシトシトとぐずついていますが、もう気にしない。足元は泥んこ+濡れ放題。でも気にしない。せっかくなのでお立ち台へ行ってみようということで、只見川の支流である滝谷川に架かる鉄橋を渡って対岸の山の斜面へ向かいます。しかしそこでは樹木がすっかり成長して、見通しが利かなくなっていました。已む無く、開けた伐採跡でカメラを構えました。
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15:13 会津檜原→滝谷 436D
惰性の産物。連写が虚しい。

帰りの列車までだいぶ時間があったで、一旦、下り列車で会津川口まで乗車し、そこから上り列車に乗り換えて会津若松へ戻りました。軽い疲労感を抱えて、揺れる列車に身を委ねる2時間40分ほどの乗車は、疲れを癒すにはちょうど良い旅でした。

昭和63(1988)年11月5日

この年は、「C62ニセコ号」や「パレオエクスプレス」の運転開始に勢いづき、ひたすら俯瞰撮影に精を出しておりました。車で現着撮影というお手軽撮影に対する拒否感もありました。勿論それは、妬ましい気持ちの裏返しでもあった訳ですが。でも撮影地ガイドに釣られることだけは、どうにもプライドが許さなくて、いつも5万の地図と自分の勘だけが頼りでした。(今でも「お立ち台通信」は絶対に見ません。)それだけに失敗や無駄な時間潰しも数知れず、人様にはお勧めできないことばかりです。その反動からか、ビデオ撮影が本格化すると、車現着のお手軽撮影が主体となり、1本でも多くの列車を撮影する方向に傾いてゆくのでした。第一、ビデオの俯瞰映像は、結構退屈しますからね(笑)。