ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 4

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昭和43(1968)年3月19日 大分運転所

車歴は↓こちら。

C574 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

N-2タイプの門デフ装備。一口に門デフと云っても、長工式(Nタイプ)と小工式(Kタイプ)とでは印象が随分と異なります。C57の長工式は軽快さにちょっと欠けるように思います。おそらく、屏風を支える前のステーが斜めになっている小工式に対して長工式では垂直に立っているため、その違いによる印象の差だと思います。手摺をも兼ね備えた長工式の方が機能的ではあるでしょうけど。

大分運転所時代にはちょっと残念なLP405装備でしたが、この後の宮崎区時代にはLP42に換装されています。大分の前の新潟区・新津区時代にはLP403でしたので、前照灯を見ればある程度時代が特定できそうです。

そしてこの機関車の顔に違和感を覚える特徴が、煙室前端でしょう。原設計では丸味を帯びていますが、その丸味の部分を直角にしています。前端部に腐食が発生したため、その補修の際に工作が容易な直角にしたようです。施工は鷹取工場で、15輌に実施したと、ある書籍には記されていましたが、あちこちの写真から4、6、7、26、36、67、80、85、87、98、110、119、121、127、145、146、147、148、152号機の19輌を確認しています。

なお、新潟・新津区時代には何故か前端梁のみゼブラ模様が施されていました。また大分にやってきてからは旋回窓が撤去されています。更に宮崎区時代には砂撒き管が2本から3本に増設されるなど、特定機をモデル化をする場合には、年代や配置区にも注意を払わねばならないので、実に大変そうです。わたしはやりませんけど。