ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

神岡線開業(その2)

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和41(1966)年10月6日、神岡線が開業しました。今回は猪谷駅の様子を見てみましょう。

神岡口駅の後に訪問されたと思われ、影の向きから(画面左が西側)すでに時刻は午後を回っており神岡駅ほどの賑わいはありません。こちらはキハ20による編成。高山区の79643も神岡線に初入線でしょう。

ヘッドサインはキハ35系のものとは少し異なり「祝」の文字入り。ホーム屋根には万国旗がはためいています。

製作が間に合わなかったのか、急ごしらえのような行先表示板。

ホームには大きな横断幕。

貨物列車牽引のDD13にもヘッドマークを掲出してお祝いムードを盛り上げています。改札口には紅白の幕が見えます。

ヘッドマーク鉄道友の会の富山クラブが製作したようです。「開祝通」。DD13 340には旅客車に負けじと日章旗を掲げモールが飾り付けされています。神岡線は貨物輸送が稼ぎ頭となるのですから、それも納得です。それだけに貨物輸送の廃止が神岡線(後に神岡鉄道)の運命を決定づけることになります。

駅前通りです。こちらはゲートではなく飾り付けた門柱で祝福です。その天頂に掲げられたひときわ大きい旗は、ここ細入村(現 富山市猪谷字旦暮)の村旗と思われます。神岡町ほどの規模はない集落なので商店街というほどではなく、沿道に提灯などの飾り付けは見られません。

門柱の先から振り返って見た猪谷駅の駅舎です。古い電話ボックスが懐かしいです。スマホなどという携帯電話など想像もつかない時代。固定電話が備わっていない家庭が普通にあったくらいですし。勿論、ネットもコンビニもまだ存在していませんし、カラーテレビも裕福な家庭にしかありませんでした。小学生は「はしか」と「水ぼうそう」に罹患しながら育っていきました。BCGの注射は痛かったなあ。今の若い人たちが59年前の日本を訪れたとしたら、あまりの不便さとボットン便所の臭さに発狂してしまうかもしれませんね。昭和中期生まれの私の様な鉄ちゃんなんかは、国鉄全盛期の車輛たちを目の当たりにして嬉しさのあまり発狂してしまうかもしれませんけど。

大いに祝福されて開業した神岡線でしたが、ローカル線の運命には抗えず、旅客輸送の低迷で第一次特定地方交通線の烙印を押されて昭和59(1984)年に廃止となり、第三セクター神岡鉄道として再スタートを切ります。しかし貨物輸送がトラック輸送に切り替えられると営業収入は一気に落ち込み、平成18(2006)年、遂に鉄道そのものが廃止されてしまいます。