ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

DD51 781との再会

昭和63(1988)年1月15日 会津若松駅

 

平成10(1998)年3月24日 富良野駅

DD51 781は岡山機関区に新製配置され、10年ほどして釧路機関区へ転配。JR発足時にJR貨物の所属となり東新潟機関区へ異動となり、その後も慌ただしく数年おきに配置替えされます。国鉄時代の昭和54(1979)年か55(1980)年に千歳線で見掛けたような気がしましたが(その写真を探しましたが見つけられませんでした)、その後、磐越西線で出会い懐かしさを覚えました。運転窓の防護棒がいかめしいです。当時、北海道では絶滅していた切文字の3桁ナンバー機でしたので、また北海道に戻ってくれないかな~と思っていたら、驚いたことに平成9(1997)年に千歳線で目撃。(この数年前にもほんの一時期、鷲別機関区に所属していたようです。)この期に及んでまた転配!?残念ながら運用は分かりませんでしたので、その後の出会いは偶然に期待するしかありませんでした。でも念ずれば通ず(「窮すれば通ず」の誤用ですが、今は普通に使われていますね)、「フラノエクスプレス」を撮影しに向かった富良野駅でようやくじっくりと再会を果たすのでした。東新潟区時代と比べると、運転窓の防護棒が撤去され、前面手摺のホース受けが灰色から朱色に塗色変更されています。中間の手摺に小さな補助手摺が増設されていますが、岡山区時代に取り付けられたものだそうです。全国区であるJR貨物機に指定されたことで、偶然ながら数度の再会を果たせたことは、古い友人との出会いに似たもので、心にじわじわ来るのでした。