鳥取駅を13:21発の726列車、オハフ13 33に乗車しました。スハフ12と違って、エンジンがないので静かだったかも。
13:18 あさしお1号
726列車に乗車する寸前に撮影。京都発、倉吉行きです。優雅な表情のキハ82に対して、キハ181はちょっと強面。パワフルな性能が表情に現れていると言えるでしょうか。
特急「はまかぜ1号」は、新大阪発、播但線経由の鳥取行きです。単線区間では、行違う列車に出会うのも楽しみです。
14:33 鎧駅 726列車
鎧駅で下車しました。鎧(よろい)とはまた何とも、いかつい駅名です。その由来は、険しい海岸の様子が、鎧の袖模様に似ているところから来ているとか。
険しい地形の中に集落があります。それにしても駅舎は味気ない造りで、扉すらありませんよ。
当初、駅から2キロほど先にある俯瞰できそうな場所へ行く予定でしたが、曇り空に気分がダダ下がり、そこへ目に飛び込んできたのが伐採された山でした。香住方にあり、簡単に上がれそうだったので、そこで撮ることにしました。
15:10 527列車
簡単に上がれる場所ではありましたが、この列車が来るまで急いで登ったので、かなり息が上がり汗だくになってしまいました。このすぐ後に「はまかぜ4号」と行き違います。天気が残念です。
15:19 527列車・はまかぜ4号
できればもう1台のカメラは望遠で、列車同士の並びも撮っておきたかったところですが、確か、急いで登るために他の荷物は下に放置し、カメラ1台だけを持って登ったような気がします。因みにこの旅行では、撮影地ガイドブックに掲載されていた1時間目ダイヤを活用しました。
15:30頃 まつかぜ3号
大阪発、福知山線経由の米子行きです。さっさと山を下りてしまい、駅に向かう途中で。
15:48 但馬ビーチ4号
手持ちの時刻表は時季外れで掲載されていませんが、ネットによると、海水浴客のために臨時急行で、大阪~(播但線経由)~浜坂間で運転されました。この日がこのシーズンの運転初日だったようです。
15:55 あさしお8号
俯瞰撮影をした伐採地が見えます。結構、いい頻度で列車がやってくるので、あまり退屈はしません。
この後、16:24発の528列車を駅舎の中で待つのですが、近所の老婆がやってきて話しかけてきました。何でも、13歳の頃に余部に橋梁ができて、その当時の運賃は京都までが1円53銭、大阪までは1円80何銭かだった。そういう昔のことはよく覚えているけれども、さっき話したことはすぐに忘れてしまう。ということを5回ほど繰り返し話されました。耳が遠く、こちらからの話はほとんど通じないので、ほぼ一方的に聞き役に徹しました。余部橋梁が開通したのは1912年で、その時に13歳ということは、この時87歳だったということになります。明治生まれで、激動の時代を潜り抜け、さぞや苦労されたことでしょう。
両親を大切にしなさいよと言い残して、老婆は去って行きました。
昭和61(1986)年7月25日