キハ181系を初めて見たのは、昭和54(1979)年8月、山口線へ「SLやまぐち号」を撮りに行った時でした。6両程度の短い編成で、ローカル特急やなあという印象でした。食堂車もないし、北海道のキハ80系の方がずっと貫禄がありましたよ。山岳路線向けの気動車特急として、中央西線や奥羽本線でデビューし、ハイパワーエンジンを響かせて山道をブイブイ突き進み、たまにオーバーヒートでこけたこともありました。トンネル内では屋根上空冷、失敗や。やがて電化の進展により活躍の場を地方路線に移し、山陰スジや四国で余生を送ることになりました。
四国に初上陸して四国気動車特急にご対面。四国の国鉄線は全て非電化で気動車王国だった時代です。一般形には珍妙な形式もありましたが、この時点ではすでに引退していました。
昭和59(1984)年3月18日 荷稲←若井(川奥信号場)
ループでお馴染みの信号場です。
昭和61(1986)年7月25日 13:38 福部駅 はまかぜ1号
昭和61(1986)年7月25日 15:55 鎧駅 あさしお8号
昭和61(1986)年7月26日 12:30頃 香住駅
まつかぜ2号・あさしお1号・721列車
昭和61(1986)年7月27日 06:48 福部←鳥取 はまかぜ2号
昭和61(1986)年7月27日 08:30 鳥取→福部 あさしお4号
この当時、山陰本線の気動車特急は「あさしお」(京都~東舞鶴・城崎・倉吉・米子)、「まつかぜ」(新大阪・大阪~米子)、「はまかぜ」(新大阪・大阪~鳥取)、「おき」(米子~小郡)、「いそかぜ」(米子~博多)といったラインナップでした。
JR化後、まず四国のキハ181系がコーポレートカラーである空色と白ベースのツートンに塗り替えられ、山陰のキハ181系も晩年はJR西日本標準色に塗り替えられしまいました。
キハ181の先頭部のデザインはキハ82を引き継ぎ、キハ183系で途絶えたかと思いきや、キハN183、キハ185にそのDNAが受け継がれました。貫通構造という共通点があったから似たともいえるでしょうが、分割民営化が迫った時期ということで特急シンボルマークがなくなり、その印象は大きく異なっています。