matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年4月29日 竜華機関区
城東貨物線で貨物列車を牽引していた頃でしょうか。キャブ前窓の長めの庇とキャブ側窓が1枚大型化されているのが特徴でしょうか。
ところでこれは日立製のハチロク。日立はハチロクを皮切りに蒸機の製造を開始しました。製造工場は、後にC62を21輌も産み出した笠戸工場。日立は鉄道院(国鉄)への納入実績がなかったため自費で2輌のハチロクを製造。これが品質の良さから鉄道院の審査を合格。この2輌は晴れて38649、38650として鉄道院に納入されました。ところで日立製作所笠戸工場を日立造船笠戸工場と表記する文献を見かけますが、もともと日立製作所と日立造船は別会社。(戦前の一時期、日立造船は日立製作所の傘下となりますが、戦後はまた別会社に。)メジャーな文献だけに間違いを訂正して欲しいところです。
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