ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 8

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年1月14日 成田機関区

8号機は佐倉区の所属ですが、成田区で休んでいるところでしょうか。成田区の蒸機は昭和32(1957)年に全て(当時はハチロクのみ)佐倉区へ異動となり、配置はなくなっています。千葉鉄道管理局の蒸機の特徴は何といってもキャブ屋根上に据えられた列車無線アンテナ。今では当たり前の装備機器ですが、この装置設置のきっかけとなったのが常磐線での三河島事故(昭和37(1962)年)。多数の死傷者を出した戦後最悪の多重衝突事故のひとつですが、これを機に防護無線の整備と共に列車無線が全国に普及することとなります。まず、国電区間であり列車頻度が高い常磐線(上野~取手)が対象区間となり、この区間を走行する全ての機関車と気動車・電車の先頭車に搭載され、「常磐線列車無線」として昭和41(1966)年から使用が開始されました。列車無線が在来線全てで使用を開始したのは国鉄末期の昭和61(1986)年のことで、全国普及には案外時間がかかっています。列車無線は運転指令と乗務員との連絡に、なくてはならない装置ですが、それを有効に使いこなせないと重大な事故を招くことになるので、結局、安全を確保する最後の切り札は人間の判断なんですけどね。

ところで常磐列車無線が運用される頃、佐倉区や新小岩区のC57にはリンゲルマン濃度計が装備されていました。また33号機にはツララ切が装備されるなど、ちょっと場違いに思えるシーンが展開されておりました。(「蒸機の時代 No.30 Winter 2008」(プレス・アイゼンバーン刊) P.22~P.31)

車歴は↓こちら。

C578 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!