この日も眠い空模様で朝が明けました。自分も睡眠時間が4時間半でちょっと眠気が残ります。
米子駅には5時過ぎに到着。流石に人影はまばらです。駅舎はその後、改修を受けながらもこの当時のものが健在ですが、ストリートビューを見ると、駅前広場は大きく様変わりしています。
米子駅前に保存されているD51 488。現在は、お隣の安来駅近くにある「安来町和銅博物館」に移設されています。海の近くなので、潮風による腐食が気になります。
朝の出陣前、錚々たる車両群が米子機関区で出区を待ちます。
この年の4年前の昭和57(1982)年、伯備線の電化開業に伴い、知井宮~出雲市~米子~伯耆大山間も電化されました。同時に伯備線の特急「やくも」が電車化されています。写真の列車は05:43発、岡山行きの920Mでしょうか。異郷の地で、湘南色とスカ色との混合編成が見られるとは。
米子駅は境線の始発駅でもあり、今では鬼太郎列車が朝から晩まで運動会です。
05:32発 3735列車
大阪~倉吉間は急行「だいせん5号」、倉吉~出雲市間は快速3735列車としての運転です。20系の普通列車だなんて、この当時でもお得感は十分でした。但し、7両の客車は前3両が座席車で、後ろ4両が寝台車。そのうち自由席車は先頭の1号車だけ。写真の最後尾であるナハネフ22は寝台車なので、周遊券では乗車できないのが残念であります。
手動扉なので、出入り扉は閉まったままです。展望室がうらやましいですが、1号車のナハ21 9に乗車して玉造温泉へ向かいます。
今月は二日目にして画像の使用容量が7%にも達したので、この続きは次回へ回します。話がのらりくらりですみません。
昭和61(1986)年7月26日