ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

清水沢駅

「夕張石炭の歴史村」に向かう途中、ちょうど列車の到着時刻だったので清水沢駅に立ち寄りました。

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オオハンゴンソウが繁茂する清水沢駅。すでに大夕張鉄道は廃止されていましたが、構内には石炭輸送華やかなりし頃を彷彿とさせる何本もの線路が取り残されていました。

この当時の夕張駅はホテルマウントレースイ前ではなく、市役所前にありました。残念ながら写真は撮っていませんが、貨車駅だったような気がします。

そして石炭の歴史村へ。やはり気になったのは夕張鉄道や大夕張鉄道の機関車たち。

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夕張鉄道14号機。足回りは(9600+9200)÷2で、車体は8620という組み合わせのこの機関車は、夕張鉄道のオリジナル。昭和2(1927)年製造。

 

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夕張鉄道No.4号機。形式のNo.表示が珍しい。国鉄9600と同型の自社発注機。昭和16(1941)年製造と、昭和2(1927)年で製造を終えた国鉄機よりもだいぶ遅れての誕生。炭水車はC56と同様の、切り欠きスロープ付き形状なのが特徴。一時期、美唄鉄道に貸し出されたこともあり。全国的に私鉄ではタンク機関車を採用するケースが多いのですが、北海道は石炭輸送量が特に多かったせいからなのか、伝統的にテンダー機が主流で、9600はその性能・取り扱いのし易さが適応していたのかもしれません。美唄鉄道の4110は特殊だったと言えるでしょう。

 

平成2(1990)年8月9日

 

あぶれ画像。奥に見えるトラス橋は、道路橋の上白石橋。

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メモはありません。昭和49(1974)年2月撮影か。陽が落ちて寒さが募り出す時間帯です。

苗穂~白石間の豊平川橋梁です、DD51が単機でのんびり走っていたり(東札幌からの回送でしょうか)旧客列車と711系がすれ違ったり、80系特急が通過していったりと、蒸機全廃が迫っている時期なのに、こんなの撮っていていいのか、などと思いながらシャッターを切っていたような気がします。