

平成元(1989)年12月3日 上野駅
国鉄からJRに変わり、車体色も地域色またはラインカラーとして、多くの車輛が塗色変更されました。そのデザイン性には賛否両論ありますが、趣味的にはその多様さが面白いという見方もできます。身延線の115系2000番代では国鉄時代の塗色に復元されたものの、塗色選定ミスでほんの短期間で本物の国鉄色に塗り替えられたり、キハ183-100番代車では塗分けの評判の悪さから早期に変更されたり、キハ40系やキハ141系のJR北海道色では、微妙に変更されたケースもあります。機関車では試験塗色として一時的なものに終わったものもありましたし、旅客車では何度も塗色変更になったものもあり、その全てを記録するのはなかなか困難だったことでしょう。塗装に関する記録というものは、車体改造記録ほどには残されていないものなので、後世の人たちが研究する上では苦労される分野になるでしょう。
さて、「白山」運用の489系電車には、いわゆる白山色なるものが塗装されました。初めてこれを目にした時は、ちょっと目が点になりました。子どもの塗り絵か?と。塗色の嗜好は人それぞれなので、その良し悪しを判断するのは難しいです。
蒸機が全国で活躍していた国鉄時代には、煤煙による汚れが目立たぬようにと、客車はみんなチョコレート色。ついでに国電もチョコレート色。戦後普及した気動車では一転して明るい配色が採用されるようになり、また特急「つばめ」のように特別な列車には特別な塗装が施され、151系電車では初となる「特急色」を身にまとって登場し、車体カラーがその列車の「格」を示すようになりました。101系電車ではラインカラーが採用され、高度経済成長期の日本を象徴するかのような華やかな車体が颯爽と都心部を駆け抜けましたし、80系電車では「湘南色」や「スカ色」をはじめとする、長距離電車をアピールするかのような斬新な塗色が目を引きました。かように、塗色の選定にはそれなりの理由があったわけですが、JR化後の塗色変更では「何となくこんな感じにしました」という意味不明な塗色が各地で出現し、ファンとしてはいささか辟易させられる状況となり、かつてのシンプルな国鉄色が渇望される様になります。その要望に応えるかのように、引退を迎える車輛は往年の国鉄色に塗り戻されて、多くのファンに見送られてフィナーレを迎えるという流れができました。
最初からJR色に慣れ親しんできた人には、それに対する違和感などあろうはずもなく、国鉄色に復元されるとJR色を惜しむ声が出たりして、年配の私などは驚いたりしたものです。「白山色」は「どうせ人気がなく数年で消えるだろう」と高をくくっていたら、14年間も堅持していたんですね。「白山」以外の運用にも就き、ファンを大いに喜ばせたんだとか。かつての「つばめ」のように、特定の列車に設定された塗色という特別感が、ファンの心を捉えたのかもしれません。みんな大好き「特別感」。そして、かつてのJR車輛のおびただしい塗色変更は、今日の多様性重視社会の先駆けだったのかもしれませんね。