ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

波久礼俯瞰

前日のロケハンで結果を出せるか。

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11:36 波久礼駅

親鼻から乗車してきた列車を見送ります。下り貨物列車が待避中です。駅を出ると、荒川を渡り山道に入ります。で、前日にロケハンした場所へ(だと思う)。

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12:29 樋口←波久礼 下り列車

この場所は思い出せません・・・。この時にしか行ってないこともあり、忘れました。古めかしい電車は風景の中に溶け込んでしまいました。

 

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12:58 樋口→波久礼駅 上り貨物列車

駅を正面に見据える山の斜面。送電塔の足元だったかも。春先ということもあり、草むらを分け入るということはなかったような気がします。

 

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13:05 波久礼←寄居 下り列車(101系)

寄居側もよく見えますが、幾分、霞み気味。

 

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13:06 波久礼駅

貨物列車、101系の下り列車、そしてハンサムボーイの上り列車と、3本の列車が停車しているのですが、101系はどこへ消えた?

 

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13:41 樋口→波久礼 上り列車

場所を移動しました。長閑な農村風景と荒川を絡めようと。

 

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14:06 樋口→波久礼 上り貨物列車
陽が陰って、なにやら冴えない色合いになってしまいました。

 

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14:43 樋口~波久礼

JRの115系もやってきました。下り列車だったかも。

 

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14:54 樋口→波久礼

露出ムラではありません。何かの煙で霞んでいたんだっけ?

 

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15:00頃 樋口→波久礼 パレオエクスプレス

ひゃ~、何じゃこりゃ。寂しすぎるだろ。

全く締まりのない成果でした。orz

 

帰宅途中の寄居駅では貨物列車が停車していたので編成を観察します。

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秩父鉄道所有の「ヲキ」とは何とも変わった形式です。ヲキ222とヲキ123ともヲキ100形式ですが、溶接で組んだかリベットで組んだかの違いが外観から分かります。

 

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ホキ5700形式は国鉄形貨車です。

今時のデジイチだったら全車両を撮っているかもしれませんが、この頃は面白い番号があれば撮っていた程度。プロフェッサー吉岡さんには足元にも及びません。

 

八高線は、八王子までは乗車しないで、拝島から青梅線南武線経由で帰宅したようです。

拝島駅でのスナップ。

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春なのに「あきがわ」のヘッドマーク

 

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試作車のクハ103-904。量産車との違いはよう分かりません。

 

今回の記事、「パレオエクスプレス」は余計だった感一杯です。

 

昭和63(1988)年4月3日