ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

サハシ165との一期一会

全くの偶然ではありましたが、ただ一度だけサハシ165に出会いました。

f:id:railway-photo:20200523081712j:plain

12:05 酒折→石和 330M

出張で石和を訪れ、用事を済まして甲府駅に戻る途中で撮影したようです。カメラは常にカバンの中に忍ばせておりました。事務所では1時間待たされて、打ち合わせはわずか5分で終了。どんな打ち合わせねん。この撮影後、雨脚が強くなったので、バスに乗って甲府駅に出たようです。

 

f:id:railway-photo:20200523082607j:plain

f:id:railway-photo:20200523082619j:plain

546M(13:27発、新宿行き)

先頭車はクモニ83029。クモユニ74よりも側窓の数が多く、房総地区のスカ色とは異なり、雨樋の下に青帯がありません。列車種別表示窓には行先の「新宿」とあります。クモユニ74では「荷」と表示されていました。このあたりの使用方法は、地区によって違っていたのでしょうか。

 

f:id:railway-photo:20200523082943j:plain

DD13 233

九州は香椎機関区からやってきた233号機。通常だとキャブ横の白帯の中に切り文字ナンバーが貼り付けられますが、タブレットキャッチャーや運用図取り付け枠があったりで、ナンバーは下方へ逃げています。甲府駅に居るけれども八王子機関区の所属。

 

f:id:railway-photo:20200523083025j:plain

13:25 上り貨物列車 EF64 24

山岳路線用のEF64上越線でも活躍。EF65PF1000番代と同じ顔をしているので、特急色に塗り替えれば正面からは見分けが付きません。EF65-1000が一般色にならなかったのは、EF64と区別するためだったのでしょうか。

 

f:id:railway-photo:20200523083128j:plain

f:id:railway-photo:20200523083145j:plain

f:id:railway-photo:20200523083156j:plain

13:28 アルプス5号・みのぶ

生まれて初めて見たビュフェのサハシ165。その6号です。営業は廃止され、ただの自由席車扱いです。使ってもいないビュフェをどうして使っているのか。それは冷房用の電源を供給するエンジンを搭載していたからです。サハシ165の代わりに共通運用のサハ164が連結されることもありましたが、このサハ164には売店が備えられており、わずか2両という稀少車でした。

急行「みのぶ」はここで切り離されて身延線に入りますが、身延止まりです。

 

f:id:railway-photo:20200523084248j:plain

630M(14:04発、富士行き)

これに乗って清水へ帰ります。711系ではありません。ワインレッド色の115系2000番代です。後に湘南色に塗り替えられます。平成になってからリバイバル色に塗り戻されますが、あろうことに茶ブドウのような茶色になってしまいました。指摘を受けてすぐにワインレッド色に塗り替えられたようです。

 

f:id:railway-photo:20200523084501j:plain

f:id:railway-photo:20200523084513j:plain

f:id:railway-photo:20200523084523j:plain

13:36 アルプス6号

南小谷からの急行列車です。こちらにもサハシ165が。50番代はサハシ153からの改造車で、この52号は元サハシ153-4だそうです。こうした貴重な巡り合わせがあるので、出張はなかなか悪くありません。その後も遠距離出張では、鉄道撮影に絡めてスケジュールを組んでいたのはここだけの秘密です。

 

f:id:railway-photo:20200523084917j:plain

2本の急行「アルプス」が顔を並べます。

12両もの編成を連ね、183系の特急列車と肩を並べるように、中央本線でその力を存分に発揮していた165系でありました。

 

昭和57(1982)年3月20日