ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

手宮線跡

平成7(1995)年11月3日 南小樽

線路が3本あります。でも一番右の線路は、奥のカーブした所にはありません。ちょうど橋梁の先の、電車の陰の箇所で途切れているのです。これが手宮線。北海道初、日本で3番目の営業鉄道である官営幌内鉄道が明治13(1880)年に開業しましたが(手宮~札幌間)、その時の路線の一部です。開業当時の南小樽は開運町という駅名でした。手宮線の名称が制定されたのは国有化された3年後の明治42(1909)年で、同時に南小樽岩見沢間は函館本線岩見沢~幌内・幾春別間は幌内線命名され、1本だった路線は三分割されてしまいます。北海道開拓に大いに貢献した手宮線でしたが、いち早くモータリゼーションの影響を受けて旅客輸送は昭和37(1967)年に、昭和60(1985)年には貨物輸送も廃止となり、手宮線は廃止されてしまいます。廃線となった手宮線でしたがすぐにレールが剥がされなかったのが幸いし、廃止から1年後、線路を復旧した上で、あのC62 3が復元のために、旧手宮線を利用して小樽築港機関区まで輸送されました。廃止された線路を列車(正式には列車ではない?)が走ったというわけです。

HTBの秘蔵映像から。

手宮線跡の一部を小樽市JR北海道から譲渡を受け、散策路として整備し市民に開放しています。先人たちへの深い敬意と労いの思いを込めて、歴史を残し、語り継いでおります。

ところでどうして南小樽駅に来ていたのかというと、それは過去記事をご覧ください。

小樽下見に - ただいま鉄道写真スキャン中