ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

19612

SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月17日 鷲別機関区

 

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昭和43(1968)年夏 美唄

 

車歴は↓こちら。

19612 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

車歴によれば昭和41(1966)年に補助灯が設置されていることになっていますが、2枚の写真とも装備されていませんね。

すでに切り詰めデフとなっていますが、この当時、D51などはまだ未施工のものが多かったようです。キューロクの場合、入換作業でフロントデッキへ頻繁に昇降する際、通常の大きさではデフが邪魔だったから切り詰めたようにも思えますが、ならば撤去してしまえばいいのに。

キューロクはボイラーが太い分だけ、キャブからの見通しはあまり良くなかったようで、前方65mより手前は見えなかったそうです。最高速度が65km/hという低速だったので、見落としは少なかったようですが、側窓から確認するケースも多かったのでしょう。

この機関車に限らず、後部標識灯を1基しか装備していない場合には必ず向かって左側に取り付けています。これは「入換」を示す場合には向かって左側の後部標識灯を点灯することになっているからなのだと思います。ただ、ED79重連で貨物を牽引していた時にも、次位の機関車の後部はいつも機関助士席側の後部標識灯を点灯させていたように思います。

撮影には1年ほどの開きがある2枚の写真。何か違いがありはしないかと探してみましたが見つけられません。