ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月 大分運転所

 

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昭和46(1971)年2月17日 大分運転所
車歴は↓こちら。

58689 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

門デフ(小工式)に白く塗られた手摺。そして鈍く光沢を帯びたナンバープレートの機番。パイプ煙突がちょっと残念。スハ32系やオハ35系を牽かせて走って欲しいところですが、おそらく入換用だったのでしょう。この当時、久大本線にも豊肥本線にも大分区のハチロクの運用は見つけられませんでした。(豊後森区のハチロク豊後森鳥栖間で旅客を牽引していた模様。)解放てこが片側なのは、入換機の特徴なのでしょうか。北海道はアメリカ、本州はイギリス、そして九州はドイツといった具合に、鉄道創世期には地域によって蒸機の輸入国は異なっていました。九州に門デフ機が多いのは、ドイツとの縁が影響しているのでしょうかね。そういえば北海道のカマが汚いのは、荒々しい形態のアメリカ製機関車と通じるものが・・・ないか。

 

故人である田中泰三氏は元国鉄マンで、高山機関区で機関士や気動車の運転士として活躍された方です。車歴ならぬ写歴は長く、昭和32年頃から地元高山本線を中心に様々な記録写真を残されており、昭和40年代に入ってからは全国の機関区を巡り、多くの蒸機の姿を収められました。国鉄マンという立場から、機関区や修繕工場、また事故現場などの記録写真も多々ありますが、ここではまず蒸機と蒸機以外の特筆すべき車両のみを公開させていただきます。