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昭和42(1967)年8月17日 鷲別機関区
昭和43年夏 美唄駅
車歴は↓こちら。
19612 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!
美唄駅での画像ですが、車歴表を見ると、場所的にちょっと怪しいです。
いかにも北海道らしい切り詰めデフです。前照灯1灯が時代を感じさせます。もっともこの時代、C62は3灯でしたけど。
2枚の画像に何か違いがあるか探してみましたが見つかりません。蒸機は同じ形式でも機関車によって違いがあるだけでなく、同じカマが時期や配属先によって姿を変えるケースが珍しくないので、特定機を模型化する場合にはその時代なども考慮しなくてはいけないのが難しくもあり面白くもあるところでしょう。
北海道のキューロクとして最も強烈に残る記録と云えば、日本で一番長い貨物列車を牽引したということでしょうか。大正7(1918)年4月に石炭を満載した10トン貨車(24トン積み)75両がキューロクに牽かれて室蘭本線を走りました。平坦区間ながらも総重量2500トンにもおよぶ列車を、大正生まれの蒸機が牽引したというのはかなり驚きです。昭和に入ってからは、D50やD51が2400トン、2800トンといった石炭列車を牽引しています。肝心の列車長がいかほどであったのかは分かりませんが、貨車1両が10mとしても750mにもなります。駅の有効長を考えると、無停車でもない限り今の線路を走ることはできませんね。当時と運転速度は全く異なりますが、現在の最重量貨物は1300トンです。
画像を追加します。
昭和49(1974)年9月29日 宗谷本線下沼駅(324列車より)
追加する意味あんの?と言われそうなガッツリ拡大した状態の悪い画像で恐縮ですが、廃車半年前の煙室扉サビサビで頑張っている姿です。回転火の粉止めにはお皿が載っており、うるさいファンからは嫌われそうです。前端梁にはトラ模様が残っています。補助灯をしっかり載せており、本線用機関車然としています。