ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 135

田中泰三様とdd511135様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。 

日本で一番有名なC57の静態保存機。通称、ももえちゃんの汽車。

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昭和42(1967)年8月5日 札幌駅

非電化時代の札幌駅で。ナンバープレートすぐ上の補助灯、お皿付き回転式火の粉止め、高い位置の後部標識灯、ドーム後ろの重油タンク、キャブの旋回窓(機関士側のみ)。貴婦人には見えませんね。除煙板の切り詰めは未施工です。

列車はおそらく3番線の停車で、左のホームが4,5番線。跨線橋に見えるのはテルファクレーンで、その奥に本当の跨線橋が見えます。その跨線橋から奥の方に6、7番線が伸びています。8、9番線はまだありません。左側奥の建物は札幌客貨車区の検修庫だと思われます。

 

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昭和48(1973)年8月10日 遠浅→沼ノ端

お馴染みの上り千歳線との交差部です。除煙板が切り詰めされ、135号機は晩年の姿となっています。真夏でもスノープラウ装着。

分かり辛いですが、炭水車は鋳鋼製台車を履く12-17Cです。
(12-17はC51、C53、C54用で、12-17Aと12-17BはC55用)

 

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昭和49(1974)年8月5日 栗沢駅

昭和48年の頃とまだ変わりません。

読者の方から指摘を受けました。台車の印象から炭水車は12-17Dではないかと。そう言われればそんな風に見えてきます。マインドコントロール

決定的なものではないのですが、炭水車の増炭枠に違いが見られました。カラー画像でも分かる通り、オリジナルの12-17Cでは増炭枠が外へ幾分はみ出しています。積載した石炭に押されたのでしょうか。一方、12-17Dらしき方でははみ出しがありません。149号機のものと同じです。因みに144号機もはみ出しています。

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昭和50(1975)年8月 岩見沢第一機関区

この画像では台車がよく分かり、12-17Dであることが確認できます。台車は板台枠のもので、139号機以降の二次型に採用されました。江別の鐵様の推察によるとその頃に廃車となった149号機のものではないかと。この点を指摘した記事はさっぱり見当たりません。

横から見ると、切り詰め除煙板の寸詰まり具合や、重油タンク搭載のためのドーム後方の切り欠き具合、そして密閉キャブの様子がよく分かります。

車輛の顔は命だ、みたいに断言したプロカメラマンがおりましたが、どうしてそんな意味不明なことを口走るのか、私にはさっぱり理解できません。プロフィールも車輛にとっては重要なアングルです。超望遠レンズで顔ドッカン写真ばかりを撮って、若いファンに悪影響を及ぼしたあのカメラマンですよ。今は知らんけど。

 

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昭和50(1975)年10月19日 苫小牧駅

王子製紙の煙突が印象的です。初めてネオパンF(ASA32)を使ってみました。

 

運命の12月14日。庫の中で夜を共にしました。

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昭和50(1975)年12月14日 室蘭機関区

もう何も申しますまい。この10日後、私の青春は終わったと思いました。

 

昭和50(1975)年12月14日 追分→三川

 

昭和50(1975)年12月14日 岩見沢第一機関区

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