ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 86

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年12月26日 旭川機関区

 

昭和47(1972)年6月14日 深川機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5186

標準試作機の第一号になります。お馴染みのデゴイチスタイルです。

軸重配分を是正すべく、ナメクジを止めて給水温めを煙突前に据え、後方に偏っていた軸重を前方へ移動させています。給水温め器を煙室の上に載せる場合、9600やC51、C52では煙突後方に載せていましたが、軸重を少しでも前方へ移動させるためにD51では煙突前となり、このスタイルがD52やC58にも採用され、見慣れた姿となっています。もしも煙突後方に据えていたら、集煙装置の形もだいぶ違ったものになっていたかもしれません。D50のように、更に前方となるフロントに置かなかったのは、先輪の担いバネカバーがあって置くスペースがなかったためであり、C53のように前端梁の裏も同様の理由でスペースがなかったからです。どちらも大幅な設計変更を行えば不可能ではないでしょうけれど、そこまでしなくても煙突前の移設だけで所定の軸重配分が達成できたということでめでたしめでたし。

煙室前端の丸味は止めて角張ったものになりました。前端に丸味を設けるのはかなりの工数を要する作業にも思え、また平滑性の問題によるものなのか、錆びが生じたために丸味を止めて角縁に改造されたナメクジも数輌存在しており、前端丸味はスーパーナメクジのドームのように、機能的には無意味で保守の面ではむしろマイナス、単なる「見たくれの良さ」だけだったのかもしれません。

標準試作機である86~90号機の5輌は全て国鉄浜松工場で製造されました。101号機以降の標準機ではキャブが幾分後方へ拡大されましたが、標準試作機ではナメクジと同じ寸法のままです。