ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

キロ26

昭和56(1981)年3月17日 キロ26 105 札幌駅

特急列車に乗車することはあっても、グリーン車を利用することはまずありませんでした。理由は単純。特急列車は、急行列車よりも目的地まで短時間で到着でき、しかも急行用の車輛よりも乗り心地が良いという明確なメリットがあるのに対して、グリーン車は乗り心地や車内の快適性が良いというだけで、そこに憧れはあっても、お金を支払うだけのメリットを感じていなかったからです。まあ、貧乏人のひがみと受け取って頂いて結構です。なので、キロ26には現役時代、車内に入ったことすらありません。とは云え、淡緑色の帯には特別感がありました。グリーンマークよりも目立っていましたし。しかしキロ80やサロ481など、特急用の車輛には新幹線車輛も含めて淡緑帯はありません。理由は分かりませんが、モハ20系(後の151系)に始まる国鉄特急色をまとう列車に、淡緑帯は編成美を損なうと判断したからでしょうかね。この淡緑帯は昭和53(1978)年に規定が廃止され、順次、消されることになりますが、上記の画像のように廃止後もしぶどく残された車輛もありました。

ところでキロ26 105が組まれる列車は急行「大雪・紋別・はぼろ」の三階建て列車です。下り列車の場合、1号車から3号車は「はぼろ」で留萠経由の幌延行き(3号車は留萠止まり)、4号車から9号車は網走行き「大雪」で、グリーン車はこの編成に組まれています。そして10号車から12号車は、名寄から名寄本線経由で紋別行きの「紋別」になります。深川、旭川で順次切り離しそれぞれの終着駅へと向かい、上り列車では順次連結して札幌へ向かっていました。キハ56系による堂々の12輌編成。この頃、特急「おおぞら」が函館~札幌間で13輌編成を組んでおり(札幌で分割併合し、旭川・釧路とを結んでいました)、すでにこの時代、斜陽と言われた鉄道ではありましたが、まだまだ鉄道の重要性や存在感は高かったのだと思います。

それにしてもキロ26ですが、個人的にはわずか2輌のみ道内に配置されていたキロ28の方が外観的には好きでした。耐寒耐雪仕様にはなっていなかったので、冬に運用されることはなかったようですが。