なんですかねえ~こんなにゴミが付着して。それともカビなのでしょうか。コダックのネガなのですが、フィルム現像もどうも変で、プリントするとまっ黄っ黄になってしまうのです。コダックのドーゲン現像処理では、こんなカラーネガフィルムが何本か犠牲になっています。それに加えて異常なほどの量のゴミの付着。どうにもならんしょ。
この時の撮影で、初めて道内の特急列車に乗車しました。「オホーツク」だったのですが、すごくご機嫌で心に余裕ができたようでした。その割には、行く時に帰りの特急指定券を出して検札をやってもらい(車掌さんも気づかず)、帰り「オホーツク」の車内では車掌さんに汗だくになりながら言い訳したものです。
滝川機関区です。「オホーツク」の窓越しです。岩見沢では撮影していません。


フォトショップで補正できなかったため、こんな酷い色合いになってしまいました。

D51 397


深川機関区
建物の脇には、いつも廃車体らしき車両が並んでいました。今はそれよりも右端の車両が気になります。
富良野線美瑛行の651Dに乗車し美瑛に向かいました。

待てど暮らせど貨物1690列車は来ませんでした。でも、ここに来る途中で、戦車を積んだチキが旭川方面へ向かって走って行きました。DL牽引だったのでその時はあまり悔しい気持ちはしませんでしたが、今となっては貴重な戦車輸送列車を撮り損なったのが残念でなりません。1690列車を運休にした上で走らせたのかもしれません。富良野線で貨物列車を見たのは、人生でその一度きりです。

石炭満載の5492列車は発車待ちです。駅と駅裏側の地区とを結ぶ跨線橋から。大きな構内照明塔は今でも立っているようです。
滝川発落合行きの普通列車を後追い撮影です。高根信号場で先ほどの「おおぞら2号」と交換し、今度は芦別駅で5492列車と行違うためでしょうか、22分間も停車します。この当時、芦別と平岸の間には高根信号場がありました。未成線に終わった芦別線(昔、読んだ何かでは納内線と呼んでいたように記憶しています)の分岐点になり、函館本線の納内とを結ぶ予定でした。国道38号線には、芦別線の大きなコンクリート橋が頭上を跨いでいたものです。

暑いせいか、煙はほとんど上がりません。それにしても長い列車です。車で踏切待ちをしていたら、うっかり寝てしまいそうです。
手持無沙汰のように一人佇む。

5492列車に遅れること18分、新得発滝川行きの440Dに乗車したのですが、途中、茂尻駅で5492列車を追い抜いてしまいました。どんだけ遅いんだ。
滝川駅で5492列車の発車を撮影し忘れて、急行「かむい6号」で深川へ向かいました。

再び深川機関区。客車は救援車か何かでしょうか。側窓が結構多いようです。救援車ではないのかも。蒸機を亡き者にした初期のDD13がちょっと憎たらしい頃でした。


腕木式信号機のある情景が好きです。
もう暗過ぎて要領を得ません。
因みにこの当時、留萌本線深川~留萌間には2往復の急行「るもい」に加え、「ましけ」(増毛まで)、「はぼろ」(幌延まで)が各1往復ずつ運転されており、本物の本線でした。更に季節臨として羽幌までの「天売観光号」も走っていました。
帰りの「オホーツク」では、冒頭に述べました通り、検札パンチの入った特急指定券を車掌さんに出して冷や汗をかきましたが、蒸機を撮影しつつ、特急、急行、普通の各列車に乗車し、しかも函館本線、富良野線、根室本線、留萌本線の各沿線風景も楽しめた、とても充実した高校2年生の夏休みの1日でした。
昭和49(1974)年7月23日









