ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

キハ160とマヤ34

日高本線に入線した肝心かなめのトマサホは、ビデオでしか撮影していないので写真はありません。ざんね~ん。判官舘の上からトマサホを撮影してもまだ午前中でしたが、一向に回復しない天候にモチベーションがすっかり下がり、早々に撤収することにしました。でも時刻表を見ると、帰りの途中で何本かの列車とすれ違うので、それらを撮りつつ家路へと向かいました。したっけ、この日最後の撮影は勇払手前の厚真川橋梁でと相成りました。

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13:08 勇払←浜厚真 4230D
先頭はキハ160。ラッキー。チャンスというものは、こういう形で拾っちゃうものなんですね。(違うと思うぞ。)踏切事故で大破したキハ130 5の補充として製造されたキハ160は1形式1両の貴重な車両。でもどうしてキハ130やキハ150ではなかったのでしょう。それとも、キハ40の後継車として今後の増備が予定されていた?でもそれだと車体長がちょっと短いですね。結局、平成19(2007)年にハイブリッド車の試験車として改造されたのち、1年後には洞爺湖サミットで海外からお越しのエライ様方々にお披露目されたものの、その後は大した活躍もないまま平成25(2013)年に廃車となった模様。車齢、わずかに16年という、薄幸な車両でありました。そのハイブリッド技術はキハ285系で開花する筈でしたが、そのキハ285系にあっては一度も営業運転をすることもなく廃車、解体というあまりに哀れな運命でした。

この際だから、下り列車も撮っておこうと思い、対岸に移動しました。

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13:52 勇払→浜厚真 2231D
朝の勇払駅からず~っと厚い雲が覆いっぱなしの半日でした。これにて撮影終了。

車で撮影するようになってから、移動の自由度が格段に増したので、情報を入手するとウキウキと出かけるようになり、この一週間後には江差線に向かいました。マヤ検の撮影です。途中、要所要所で早朝の撮影をしながら江差線に入りました。
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試9188D 湯ノ岱駅
江差線非電化区間での撮影はこれが2度目で、最初の時は前年の11月2日、やはりマヤ検の撮影でした。5万の地図を見て撮影ポイントを頭に入れながら追いかけたものです。前回同様に日曜日とあって、ファンの姿をあちこちで見かけ、その中には知っている顔が幾つもありました。すっかり数を減らしたキハ56と事業用客車マヤ34とのコラボは、国鉄ファンの心をすっかり、ドンドン、釘付けよ。(←昔、タモリさんが深夜放送の中である時期、好んで使っていたフレーズ)しかし、ここでも天気は優れません。やはり日頃の・・・皆まで言うな。

平成10(1998)年4月19日(日高本線)、26日(江差線マヤ検)

今朝の道新には、昨日で運行を終えた釧路の運炭列車と、今日が最終運転となる夕張支線の記事と、JR貨物の広告が載っていました。中でも気になったJR貨物の広告文がとても意味深でした。毎日がエイプリルフールな社会・・・。人間は嘘無しでは生きてゆけない動物なのかと思うほど、あらゆるところに嘘が蔓延しているようです。「小田霧響子の嘘」は面白いんだけどな。作者の甲斐谷忍氏は「LIAR GAME」の作者でもあり、とても嘘がお好きそうです。中島みゆき氏も「おんなは いつも~う~そが~す~きだね~」(歌姫)と歌っておりますなあ。因みに「嘘から出た藤田まこと」という言葉はありません。それにしても、今日のアクセス数こそ実にうそ臭い気がします。