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昭和31(1956)年12月20日 高山機関区
スノープラウの形状が独特です。この時代、ナンバープレートの位置は低めでした。
整備員の姿に時代を感じさせます。今ならヘルメット装着必須でしょう。
これから煙室扉を開けて中に溜まった灰を掻き出すところでしょうか。その際、灰が舞い上がらないように水を掛けることもあったようです。札沼線で混合列車だか貨物列車だかの車掌をしていた父の話では、煙室にイモを入れておくと、いい具合にふかされたのだそうです。実際、苗穂工場まつりでミニSLの運転をしていた鉄仲間は、煙室でふかしたサツマイモをご馳走してくれました。いい感じにふかされて、とても美味しかったです。因みにイモはミニサイズではありません。
昭和33(1958)年10月26日 高山機関区
富山国体時に運転されたお召列車の牽引機です。ランボード上に設置された手摺はお召し機ならではの装備でしょう。炭水車背面の中央に梯子が増設された理由は何なのでしょうね。煙室扉中央部の締め付け具は、輪っかのないタイプに交換されています。この形状もお召し機ならではのものでしょう。給水温め器の側面には何かプレートが貼られていますが、内容は確認できません。前部の灯具掛けが撤去され、キャブ側面にタブレットキャッチャーがありません。
腕章を身に着けた二人の機関士は、いわゆるナッパ服ではありませんね。帽子も違うし何よりもネクタイ着用。20世紀にDD51貨物機に添乗させてもらったことがありますが、ヘルメット装着は当然ながら、ネクタイ着用に革靴といった身なりでした。そのDD51のキャブには煙草の吸い殻入れが付いたままでした。眠気覚ましのため、タバコ、キャンディー、ガム、飲料水はOKだと聞いたことがあります。
昭和42(1967)年11月8日 高山機関区
前照灯はショボイLP405に交換され、除煙板には点検口が設けられています。タブレットキャッチャー取り付けによるものでしょうか、キャブ側面の札差しの位置が、お召し機だった頃とは違います。普通の姿に戻され、お召し機であったことを知る人も少なかったでしょうね。
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