ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

富内線のふた駅

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和61(1986」)年9月

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穂別駅

ホームの高さに差がありますが、低い方が昔の客車向けの高さで、高い方が気動車向けの高さとなっています。

 

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手造り感がたまりません。

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富内駅

富内線の路線名は、沿線の中で一番大きい街が富内だからそう名付けられたのかと思いきや、沿線で一番利用客が多い駅は穂別でした。しかし穂別駅はホーム1面だけ。

もともと富内線は二代目「北海道鉄道」の路線で、その終点が富内だったため富内線命名された次第です。もっとも、富内駅はもともと辺富内(へとない)と呼ばれており、国有化された際に富内となったので、富内線の名称はその時に確立したということになります。

鵡川駅から富内駅にかけては、見事に鵡川に沿って北東方向へ進むものの、富内駅から先で突如そっぽを向くように南下してトンネルで山を抜け、沙留川へ出ます。富内駅から先は戦後に延伸された区間ですが、まるで戦前に叩き込まれた思想が転向したかのような変りっぷりです。沙流川の最初の駅が幌毛志駅。今度は沙流川に沿って終点の日高町を目指します。

計画では日高町から石勝線の占冠駅を経由して根室本線金山駅に接続する筈でした。それが今では線路に代わって、国道237号線がつながっています。