ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

雄別鉄道1001号機

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和44(1969)年2月25日 雄別炭山駅

私鉄が自社発注した唯一のC56です。正面番号板を見ての通り、機番は1001号ですが形式は「C56」です。国鉄機とほぼ同じ仕様かと思われます。除煙板前端付近には上諏訪区のC56より小振りな手摺が設けられています。旋回窓はなく、キャブもそのままで耐寒耐雪仕様にはなっていないようです。釧路地方は積雪は多いほうではありませんが、寒さはなかなかのものなので、冬期間の乗務は機関士・機関助士には厳しかったかも。

雄別鉄道ゆかりの機関車と云えば、東武鉄道のC11 123がかつてここで働いていました。江若鉄道→雄別炭鉱鉄道(後の雄別鉄道)→釧路開発埠頭と職場を変えながらも機番は一貫して江若鉄道時代の「C11 1」でした。「機関車表」では何故か廃車前に解体となっていますが。

雄別鉄道ではC11はそのままC11を名乗っているのに、なぜC56は1001号機という番号板を掲出しているのか。自社発注機だから・・・何となくそんな風に考えていましたが、ネットの記事によれば、どうやら製造した時期に理由があったようです。製造は昭和16(1941)年。すでに国鉄ではC56の製造が終了しており、90輌ものC56が軍供出により海を渡ってタイやビルマへ送られようとしていた時期です。そんな非常時に北海道の一私鉄がC56を発注したということが軍の目に留まらぬように、「1001」という機番を前面に出したということです。ちょうど「形式1000」は空き番になっていましたしね。終戦の一か月前には車歴に記されているように米軍機から機銃掃射を受けてボイラーに穴が明くなどして走行不能に。後に修復されて現場復帰を果たしましたが、キャブ屋根には銃痕がそのまま残っていたといいます。

昭和44(1969)年には日立の冷蔵庫のCMに出演することとなり、真っ白に化粧されました。チ500形式と思われる3軸長物車に5台の冷蔵庫を積み、それを1001号機が牽引するのですが、白い冷蔵庫に合わせて機関車のみならず貨車も乗務員の制服までも白だったそうです。因みに冷蔵庫の商品名は「ホワイトフリーザー」。短期間とはいえ、機関車を白い状態で維持するのに現場では苦労したそうです。

車歴は以下の通り。(沖田祐作著 「機関車表:ネコパブリッシング刊」より編集)

三菱重工業神戸造船所:製造番号290 1941-02-05 S38t1CT(1067)
1940-02-05製造

1941-03-01納入;雄別炭砿鉄道;1001(C56同型)
1941-03-11竣功届

1945-07-14空襲雄別鉄道 雄別鉄道1001号機関車客車3両牽引し
釧路着 8時20分折返し2番列車として雄別炭山向け発車 8時45分頃阿寒駅発車間もなく
水田の中を進行中艦載機2機に銃撃され停車 乗客を避難させている最中に第二撃をうけ
ボイラー・テンダー・第三動輪に損傷をうけ8721号機関車の来援をうけ機関区に収容→
復旧

1970-04-15廃車