ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

義経號来道

昭和55(1980)年は、明治13(1880)年の北海道の鉄道開業から100年という節目であり、それを記念して幾つかの行事が実施され、その一つの目玉が「義経號」と「静號」のランデブーでした。両者は手宮駅で逢瀬を果たします。

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晴れ姿をまとい、自力で静號を迎えに行きます。

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静號は車庫から引き出されると、転車台で回転し、麗しい姿を観客に披露します。

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幾星霜を経て、両者は再会を果たしました。といっても12年ぶりですけど。
この後、義経號は、武者ぶりを披露します。独特の汽笛と鐘を鳴らして構内を何度も往復します。
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小型のDD16に比べても小さい義経號。

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義経號を見守る静號。義経の咆哮を耳にして、開拓時代に思いを馳せているのでしょうか。張碓付近で、積雪で身動きが取れなくなった義経號を、静號が救助に向かったという逸話は有名です。

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両者は平成14(2002)年にも、ここ手宮で再会を果たします。

義経號、静號ともにアメリカ製の機関車7100形式で、8両の仲間がいました。北海道開拓の一翼を担い、幌内炭鉱からの石炭輸送に活躍しましたが、少し大型の7200形式が導入されたこともあって、営業列車を牽引した期間は10年程度だったようです。その後は入換や新線工事などの事業用に使用され、大正時代に全車廃車となりました。

義経號は鷹取工場で、静號は苗穂工場で復元されましたが、義経號は自力走行ができる状態での復元となりました。7100形式が、一番最初に復元された弁慶號と合わせて3両も保存されていることは、北海道に住む者として嬉しい限りです。

因みに手宮に保存されている大勝號こと7150形式は、7100形式を模して手宮工場が自力で製造した機関車で、国内で2番目に製造された蒸気機関車であり、現存する最古の国産蒸気機関車です。