ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

キハ400

急行「宗谷」「天北」「利尻」の高速化を図るために、それまでの14系客車に替えて登場したのがキハ400系でした。何と余計なことを・・・と思ったファンも多かったことでしょう。なんせ全国でも珍しい客車急行だったわけですから、その貴重な客車列車が消えるとあっては黙っちゃおられません。しかし、そんなことなどつゆ知らず、当時本州に住んでいた私は、気が付けば「あれ?」。急行「ちとせ」で初めてキハ400を見て、「なんじゃこりゃ?」と思い、急行「天北」を見ては「何の急行かいな?」と惚けたことを抜かしておりました。

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急行「天北」の回送列車が札幌へ向けて発車したところ。側面の赤いロゴには「SOHYA」と「TEMPOKU」のロゴが描かれています。この頃はまだ「利尻」は客車列車でした。背後の研修センターも今は思い出です。

天北線の廃止に伴い急行「天北」は宗谷本線経由に変更した上で「宗谷」と名を変え、「宗谷」は2往復となります。ロゴは黒色の「SOHYA」だけとなり、やがて「利尻」にもキハ400系が投入されるとロゴに「RISHIRI」が追加されました。まあ詳しい話は適当にググって下さい。

キハ400系には「宗谷」の撮影取材で夏と冬に1回ずつ乗車し、「利尻」にはその帰りと私用の1度に乗ったきりです。キハ400系は側窓が小さいので車内は何となく薄暗い印象で、また腰掛と窓とは位置がずれているので、席によっては横が壁だったりして、安普請ではありませんが、いささか高級感に欠けていました。それでも思いのほか乗客はおりました。取材では指定席を取っていたのですが、撮影で車内を歩き回りほとんど座ることがなかったので、乗り心地の具合は記憶にありません。車掌さんの乗務の様子は勿論、厚かましくも、仲間と遊ぶ少年少女や駅弁を食する熟年夫婦、出張中のサラリーマンの方々などを撮影させていただきました。小銭を渡して自販機でコーヒーを買ってもらったり喫煙場所で煙草を吸ってもらったりといったシーンもちゃっかり撮らせていただきました。キハ400系は、乗車回数は少なかったけれども、そんなこんなで印象深い車両ではありました。

昭和64(1989)年1月7日 札幌~苗穂運転所